伊藤康英 について
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バイオグラフィー
  1960年12月7日、静岡県浜松市生まれ。幼稚園のころ、ヤマハ音楽教室に通い、浜松市立元城小学校時代よりピアノを習い始める。浜松にてピアノを斎田四方氏らに師事。小学校3年のときに初めての作曲をする。ハイドンのピアノ・ソナタを真似たピアノ曲だが、その楽譜は行方不明。5年より小学校の鼓笛隊に入り、スネアドラムを担当。
  浜松市立中部中学校では器楽合奏部に入り、ここでも打楽器を担当。吹奏楽部の顧問は松下孝一氏。(のちに、《エヴォカシオン》や《バリ島からの幻想曲'84》などの委嘱を受けることとなる)。このころよりいくつかの作曲を試みるようになり、ピアノ曲、ヴァイオリン曲などを作曲。中学1年のときに作曲した《ロンドハ長調》で、ヤマハ主催の第2回ジュニア・オリジナル・コンサートに出演したが第1次の予選で落選。また、《交響曲第1番》と銘打った作品を5回書くが、いずれも中途で挫折。ただし、中学3年のとき、5回目に書いた《交響曲第1番》は、100ページに及ぶ作品で、第4楽章の途中まで作曲した。このころより、習っているピアノの作品のレヴェルの高さと、練習している吹奏楽曲の程度の低さとのギャップを感じ、のちに吹奏楽曲を多数生み出していく原動力となった。
  静岡県立浜松北高校の吹奏楽部では、打楽器と指揮を担当。このころから作曲の勉強をはじめる。吹奏楽編曲もこのころよりはじめ、高校一年ではシベリウスの交響曲第2番より終楽章を、二年では、ストラヴィンスキーの《火の鳥》を編曲。ちなみにこれらの作品は、現在では著作権の問題により、編曲が許諾されてはいない。そのほかには、《宇宙戦艦ヤマト》やキャンディーズ、ピンクレディ、北高校歌、生徒の歌などを編曲。
  高校3年の夏には初めての吹奏楽曲《オン・ザ・マーチ》を作曲、吹奏楽コンクール課題曲公募に提出するが落選。(のちに、アメリカのTRN社より出版)。またこのころ、《フルート・ソナタ》(アルソ出版刊)などを作曲。
1979年

大学受験前だというのに、浜松にて「プロムナード・コンサート」を企画。音楽を志す仲間とともに、3月に第一回のコンサートを催し、以来7回のコンサートを企画、出演。このときのプレイヤーに、須川展也氏(サクソフォーン)、渡瀬英彦氏(フルート)、森下幸二氏(ヴァイオリン)らがいた。

同年、東京芸術大学音楽学部作曲科入学。作曲を野田暉行氏に師事。ピアノを岩崎操氏に師事。大学一年のときに作曲した吹奏楽のための《プログレス》が、笹川賞吹奏楽曲部門第三位入賞。

1980年 静岡県音楽コンクールピアノ部門第1位。
1981年 前年のコンクール入賞に気を良くして、日本音楽コンクールにピアノと作曲の両部門にエントリーするが、どちらも一次にて敗退。
1982年 日本音楽コンクール作曲部門第3位(管弦楽のための《シンフォニア》)。
1983年 学内にて安宅賞受賞。同大学卒業。学部在学中に22曲の作品を作曲し、「それは多すぎる」と、大学院入試で言われた。同年、同大学院作曲専攻入学。この年より、筑波大学吹奏楽団の指揮を担当。以来、13年にわたり、吹奏楽コンクールの指揮を務めた。
1986年 大学院修了。修了作品は、《ピアノ協奏曲》とサクソフォーンとピアノのための《ツヴァイザムカイト》シリーズ3作。同年、サクソフォーンのための作品コンクール最優秀賞受賞(サクソフォーンとピアノのための《ツヴァイザムカイトへの補足的一章》)。10月、吹奏楽のための《抒情的「祭」》初演。
1987年 3月、初めての渡米にて、《抒情的「祭」》をJBA-ABAジョイント・コンヴェンションにてイリノイ大学吹奏楽団を指揮してアメリカ初演をする。この年より、コンセルヴァトアール尚美(現・東京ミュージック&メディアアーツ尚美)非常勤講師。現在に至る。また、この年より作陽音楽大学(現・くらしき作陽大学)非常勤講師。オペラマイスタークラスにてコレペティトーアを務める。1996年の津山国際音楽祭オペラ公演にて《フィガロの結婚》《皇帝ティトの慈悲》のチェンバロを担当するなど活躍。
1988年 この年より東京芸術大学ソルフェージュ科非常勤講師。この年、日本で行われたワールド・サクソフォーン・コングレスに際し《サクソフォーン協奏曲》を作曲。須川展也氏の独奏、大野和士氏指揮の東京都交響楽団により初演され、成功を収める。
1990年 交響詩《ぐるりよざ》初演。この年、国際交流基金により、岡村喬生氏と共に南米演奏旅行。
1991年 国立音楽大学オペラ《イドメネオ》の副指揮をつとめる。また、このころより、バンドジャーナル誌や教育音楽誌に、管楽合奏名曲百科、吹楽十八番、管楽合奏編曲指南と題した、吹奏楽あるいは管楽合奏曲のアナリーゼ、オーケストレイションについての記事の連載をする。
1994年

この年より洗足学園大学非常勤講師。ピアノ演奏研究所でのピアノ伴奏法の講義、作曲理論、オペラクラスの指揮などを担当。

日本吹奏楽学会(現・日本管打・吹奏楽学会)アカデミー賞作曲賞受賞。この年、母校浜松北高校は創立100周年を迎え、記念曲を作曲。またこれを機に、校歌、生徒の歌の吹奏楽編曲を再度行う。今使用されている楽譜は、もし散逸していなければ、伊藤の編曲によるもの(のはずである)。

1995年

「歌曲の年」と決め込んで、声楽曲の作曲を始める。2月末に、作家・林望氏のテキストに作曲した歌曲《あんこまパン》をきっかけに、林氏とのコラボレイションが始まり、歌曲集《行け、わが想い》や《めぐる季節に》などの歌曲の作曲を行う。

1995年の福島国体に際し、相馬地区での式典音楽(ファンファーレ、行進曲)作曲を担当。

1996年 3月。初の作品展を歌曲作品にて行う。歌曲集《行け、わが想い》全曲の初演。同年、国際交流基金により、サクソフォーン奏者雲井雅人氏と共に韓国に演奏旅行。サクソフォーンとピアノのための《ツヴァイザムカイト》韓国初演。
1997年 浜松ゆかりの芸術家顕彰受賞。
1998年 大分県での国民文化祭にて、吹奏楽作品の委嘱を受け初演の指揮を担当する(交響三頌《ラ・ヴィータ》)。
1999年 静岡県主催の静岡グランシップでの「Moving Music Express」音楽監督。
2000年 とやま国体の式典音楽(入場行進などの作編曲)を担当。
2001年

3月、新国立劇場中劇場での伊藤キム舞踊公演の音楽監督。2002年の伊藤キム氏が受賞した第一回朝日舞台芸術賞寺山修司賞のきっかけとなる。また、この年より、くらしき作陽大学吹奏楽団の指揮を担当。

8月、初のオペラ《ミスター・シンデレラ》初演(鹿児島オペラ協会委嘱)。「オペラ処女作とは思われない充実ぶり」と日本経済新聞に評された。

2002年 4月、病気のフレデリック・フェネル氏に代わり、東京佼成ウインドオーケストラ東南アジアツアー(シンガポール、マカオ、台中、台北)を指揮。成功を収める。またマエストロの快復を祈って、《Get well Maestro》を作曲。ツアー中、伊藤自身が歌い熱狂的な支持をえたが、そういえば、佼成をバックに歌を歌った指揮者、というのも、なかなかいないと思われる。
2003年 静岡国体の式典音楽を林哲司氏と共に担当。
  現在、世界吹奏楽会議(WASBE)理事。社団法人日本吹奏楽指導者協会理事。日本管打・吹奏楽学会理事。東京芸術大学、洗足学園大学、東京メディア&アーツ尚美、各非常勤講師。